「無くても作れる」意外にこれが最大の敵かも。

と、いうようなことを最近考えておりました。

設計思想とか開発環境について意見を交換している際、提案したものに対して「無くても作れる」と主張されると、確かにその通りなんですよね。データ中心アプローチも、オブジェクト指向もDIも、「無くても作れる」と主張する人たちが言うところの「今まで通りのやり方」で頑張れば作れない事もないです。
かかるコストと期間とが、求められたコストと期間に折り合うのであれば、これで問題ないのかも知れません。


個人的に、こういう意見に潜む「今まで通りのやり方とは違うやり方=リスク」という考えに、非常に違和感を感じてしまいますが、それもありがちな「個人の価値観の相違」と規定されてしまえば、それ以上強硬に主張するのもなかなか難しいです。


でも、当たり前ですが「今まで通りのやり方」は最良ではないし、むしろ多くの問題や課題でぼろぼろになってしまっているものが多いです。
未知の領域に手を出す勇気より既知の領域を守る事に目を向けてしまう気持ちも分かりますけど、それでも改善から完全に目をそむけてしまうと、そこで進歩は絶対止まってしまいます。
私はコチラの方がリスクなんじゃないかと思うんですよね。

なので、本当に「無くても作れる」なら使わなければ良いのですが、使う事で「今まで通りのやり方」より1つでも2つでもリスクを潰せたり、かけるコストが1分でも減るなら、やる意義はあると思います。


人間関係とか、色々なファクターがあって簡単ではないですが、改善をし続けられるようにしていきたいですよね。きっと、良い意味で刺激的な時間が過ごせる筈です。