思考停止の罠。

ここで書いたことの続きのようなものなんですが、思考停止が実は我々エンジニアにとっての最大の敵ですね。これは間違いないです。

引き合いに出して申し訳ないのですが、SeasarTeeda、もっと言ってしまえばJavaでもオブジェクト指向でもDOAでも、それぞれ非常に素晴らしい良いものだと思います。が、だからといって「○○があればもう大丈夫!」という事はないと断言してしまえます。


恐らく、SeasarProjectのコミッタの方々やJavaの仕様を策定する方々、Javaに精通されているエンジニアの方々、DOAコンソーシアムに参加されている方々の全てが、どれか1つの技術で全ての問題が解決するとは考えていないはずです。
何かしら問題点があり、それを解決させたい為のアプローチや工夫の1つとして、それぞれ活動されていると思いますし、そのアプローチや工夫が完全無欠であるとも、誰も考えていないでしょう。
(もし、Seasarの中の人に「Seasar2は完全無比なFrameworkだ」といきなり伝えたら、恐らく全力で否定されると思います。それは、稼動環境やシチュエーション、開発者のスタンスによって最良となりうる方式が異なることを知っているからです。)

「○○さえあれば良い」「○○を使っているから大丈夫」と思考を停止するということは、そこに潜むであろうリスクを無条件に放置する事を宣言するようなものです。そして、その行為によって隠しこまれたリスクより遥かにリスキーです。


自分のアプローチを正しいと思わないと、そのアプローチを遂行していく事は出来ません。ただし、そのアプローチが正しいと信じることと「もしかしたら、でも間違っているかも知れない」と疑いの目を向け続けることは、必ず共存させていく必要があります。正しいと信じつつ、常にその正しさを検証し続けていかないと、誰にもその正しさは伝わりません。

一番分かりやすい身近な例は、プログラムの開発。
わざわざ間違ったものを作ろうとする暇な人もいないと思いますので、殆どが正しいと思ったソースコードを書きますよね。でも、ちゃんと試験やレビューをするじゃないですか。


つまり、正しいと思ってやった事に対して評価をきちんとしています。その評価が、客観的に見て問題ないとなった時、初めて「それが正しい」と自分以外の誰かに評価してもらえるんでしょうね。