スーツとギーク

もう「スーツとギーク」には触れないと言ってたりしたんですが、ちょっとピンときたのであっさり翻して補足します。


最近槍玉に上がってる「スーツ」っていうのは、スーツを着て仕事をしている人でもソースコードと接していない人のことでもなく、人月商売に躍起になったりエンジニアを馬鹿にしている人たちを指すんじゃないか、と思った。

もっと言ってしまうと、発言した人の周囲にいる、発言した人が「コイツ、わかってねえな」と感じた人こそが、問題視されている「スーツの人」なんではないかな、と。

と思った途端、あんだけ長いエントリを書いて分かったつもりになったけど、実は全然見当違いの事を考えていたんだな、と思った。そして僕が読んだ色々なエントリも、実は多分同じ。見当違い率高し。(僕が感じただけかも知れませんけど)


じゃあ議論が不毛かというと、そうでもない。
前向きかと問われると、多分後ろ向きなんだろうなとは思いますけど。

最近よく書いてますけど、愚痴なら愚痴で書いて良いと思いますし、それが結果的に建設的にならなくても別に仕方ないと思ったりするです。何でも結果的に良く変えていければそれが一番ですが、そういうパワーというかポジティブさがある人だけではないです。じゃ、ネガティブな人はネット上で発言すべきではないか、というとそんな事も無いです。
愚痴だって受け入れようによっては非常に貴重な意見です。見当違いな意見なら、なぜ見誤ってしまったかを考察するのに非常に有用な素材にも、場合によっては新しい発想を得る素材にもなります。


だから、どんな話でも良いから発言を絶やさない、というのは実はこういった話が盛り上がった時、一番大切な事なんじゃないか、と考えた訳です。そうして色々な価値観、発言が出揃う頃には、業界そのものも良くなっていくんじゃないかなと楽観的になってみます。