標準化について

ちょっと標準化についてのエントリーを見る機会があったので、例によって便乗して考えてみました。


ひがさんが書いていた机上の空論ではありませんが、標準化という言葉が持つイメージは、往々にして現実と乖離している観が強いです。
原因は、ひがさんが紹介していたように、多くの標準が現場から離れた場所で書かれている、という事なんだと思います。ここで、私が思う事。


標準が、現場から離れた場所で作られる、というのは、恐らく現場にいない管理者が、自分の管理(というか理解)可能な視点で現場を改善しようとするから、現場の意識と合わずにちぐはぐなものが出来上がってくる、という事なんだろうな、と思います。
これはマネージャと現場の人間の意識の乖離が克服されない限り、解消はされないでしょう。


で、その標準の受け止め方なんですが、これを間違えると悲惨なことにしかなりません。
まず、額面どおりに受け取る、というのは評価者たる管理者へのアピールには効果的かも知れませんが、現場の人間から非難の対象になり得ますよね。これはつまり、現場と乖離しているという事です。
そうではなくて、現場が意識しなくてはならないのは、標準がどんな要望の元に作られたか、という点かと思います。品質なのか、開発効率なのか、はたまた第三者が見ても分かり易い進捗管理なのか、何を実現したいから標準を作ったのか、を見ないとそもそもその標準が良いものなのか見当違いなものなのか、も判断できません。


良いものであれば受け入れた方が良いでしょうし、見当違いなものであれば正しい代替案を提示した上で全力で反抗するべきですよね。そういう判断をする為にも、標準を作った人間がどういう要件に基いたものなのか、想像するのは意義があることだと思います。