隙を貫く

間違えました、好きを貫くとか枠にはまるとか、そういったことが話題に上がっているようなので、わたくしも自分なりにまとめておきます。


人それぞれの価値観に沿って、好きでいることから逃げない事も好きでいることから逃げる事も、好きでいる事を一度しまっておくのも、しまったまま一生取り出さないのも、自由です。ただし、自由であると言うことは何かしらの犠牲がつきもので、人によっては好きでい続けるために職を変えなきゃいけなかったり、好きでい続けようとして嫌いになってしまったり、そういったリスクを抱えてしまう必要が出るかも知れません。

しかし、それは仕方がないことです。

しかも、全てのものごとが好き/嫌いでデジタルに分類できる訳でもなく、人は往々にしてアナログな部分で悩んだりします。例えば、

  • プログラミングは好き。
  • でも、テストは嫌い。
  • 1日コードを書いていたい。
  • 仕事だからテストもしなくちゃ。

ここで、「だから1日コードを書いて許されるニートになろう!」とか「だからテストを我慢して頑張ろう」とか「自分の望みが今より少しは叶えられそうな会社に移ろう」とか、それぞれに答えを出して消化して、その上で自分の中で折り合いをつけていきますよね。ただ、エントリ・ポイントである好きであることに「xxは好きだけど、嫌いになろう」と折り合いをつけていくのは、実はとても難しいことかも知れません。(そう、振られた後、嫌いになりたくてもなれないアノ感じorz

なので、プログラミングが好き、システム・インテグレーションが好き、テストが好き、何でも良いのですがそれを好きでいる事は認めなきゃいけなくて、それを好きでいる事で別の何かを我慢していても自分の中で折り合いが付いているうちは好きでいることから逃げる必要も無いと思うです。もちろん、同時に逃げちゃいけない必要も無いとも思うです。

「嫌いになったとしても生活のために我慢しよう」でも「嫌いになるくらいなら職を変えたい」でも「嫌いになったからもう続けられない」でも、その人にとってはその時点でその時の自分にベスト・マッチした最適解なんですよ、きっと。人生の面白いところは、そこで出した「その時点の最適解」をその後の展開次第でミス・ジャッジにも「あれがあったから今の僕があるんですよ、えぇ」にも出来るという所だと思います。


最初、私は「好きなら続ければ良いし、嫌ならやめれば良い、ただそれだけのこと」程度にしか考えていなかったのですが、ちゃんと考えよう(・・・ちゃんと考えられてないかも?後日見直すです。。。)とするとなかなか意義深いライフハックだったんだなと今更思いました。