サービスとテクノロジとエンジニアリング

http://d.hatena.ne.jp/EnogunoCap/20071211

何を作るかということの方が、どう作るかということよりもはるかに重要だ。
何を作るかは、ソフトウェア、サービスの価値を創造するが、
どう作るかは、何を作るかということに従属しており、価値を創造しない。
「どう」は「何を」が提供する価値に近づく手段ではあるが、
それを超えるものとはならない。
早く作ることはソフトウェアの本質的な価値には関わらない。
堅牢に作ることはソフトウェアの本質的な価値には関わらない。

2007-12-11

これは非常に正しいと思います。


でも、

一理在る。
だけど、違いますねこれは。
どう作るかが変わること。つまり基底となる技術が変わることによって、
何を作るか、何ができるかが変化することがあり得る、と考えられます。
「何を」が「どう」に依存することは普通にありえる。

2007-12-11

これは何か、違うように思います。

そこで、このエントリのタイトルである「サービスとテクノロジとエンジニアリング」です。

「どう問うか、ということの方が、どう答えを得るかより重要だ。はるかに重要だ。」

ドラッガーが言ったのは、例えばソフトウェアを開発する際にテクノロジとエンジニアリングがサービスより重要になる事は無い、という事かと思います。つまり、どのように優れたテクノロジであっても、エンジニアリングであっても、サービスとして形を成さなければ意味が無い(・・・極論っぽいですが)という事です。まず、提供したいサービスがあって、それを実現する為のテクノロジがあり、サービスとテクノロジを結びつける為のエンジニアリングがある、と。

低レイヤのテクノロジであろうと、ちょっとした工夫であろうと、必ず何がしかの課題の解決策です。課題を解決したいとか、リスクを減らしたいとか、便利にしたいとか、そういったことがサービスなので、サービスの無いテクノロジもエンジニアリングもあり得ないとわたくしは考えています。


この点でわりと混同されがちなのですが、かといって「テクノロジがサービスを生み出す」というケースが無い訳ではないからなんでしょう。テクノロジによって今まで出来なかった事が出来るようになった、それを利用して今まで無かったサービスが出来る!で発展してきたWebを見て、ソフトウェア開発という分野ではサービスとテクノロジの間に相互に刺激しあう関係があります。

ただ、わたくしが思うのは、それは単に課題が解消された後に新たな課題を発見しただけであって、別に新たにサービスが生み出された訳じゃないんです。実はもっと昔からニーズはあって、ただそれを解決するテクノロジが無かっただけで、別にテクノロジがサービスを生み出した訳ではないです。


Webというサービスが生まれたのは、TCP/IPというテクノロジが完成した為ではなく、「離れた人と情報をやり取りしたい」と誰かが思ったからだと考えると、id:EnogunoCapさまが書かれているように「何を」と「どう」は互いに依存していますが、「何を」は単独で発生する反面、「どう」はあくまで「何を」に従属します。


エンジニアとして「出来ません」と言い辛いという価値観もあり、わたくしもたまにそれを感じて悶々としたりしますけど、現実問題として何でも出来る訳がないなと割り切ってます。ただ、正直なところを言うと、テクノロジの制約によってサービスが制限されるというのは不自然だな、と思います。まぁ、このへんはビジネスという要素も関わってくるので、一概には言えないんですけどね。